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Bibliothèque du Petit Lapin

Mont-Blanc

栗なのに、なぜ山の名前? ― Mont-Blanc という菓子の由来

― 19世紀半ば(パリ) ―

栗の菓子に、山の名。アルプスの白い峰をクリームと粉糖で描いた雪山のお菓子。

原語名
Mont-Blanc
読み
モンブラン
別名・異称
Mont-Blanc aux marrons / nid de marrons / montebianco(伊)
発祥時代
19世紀半ば(パリ)
当店での取り扱い
期間限定

栗の菓子に、山の名前

秋が近づくと、ケーキ屋のショーケースに細く絞り出された栗色の小山が並びはじめます。日本でモンブランといえば、まず栗のケーキを思い浮かべる方が多いでしょう。

けれども、名前をひらいてみると栗はどこにも出てきません。Mont は「山」、Blanc は「白」。モンブランとは「白い山」という意味の言葉です。そしてそれは、フランスとイタリアの国境にそびえるアルプス最高峰の名でもあります。

栗の菓子に、なぜ山の名前が付いたのか。その答えは、菓子の味ではなく姿のほうにあります。

白い山 ― Mont Blanc

上段:フランス・シャモニーの街並みと、雪をいただくモンブラン山塊。ヨーロッパ風の建物と緑の木々越しに山頂を望む。下段:イタリア・クールマイユールの石造りの家々と花、岩肌の険しい山並み。両写真にそれぞれ地名がカリグラフィー体で入っている。

モンブランは標高およそ4,800メートル。アルプス山脈の最高峰で、年間を通じて雪と氷河に覆われています。フランス側の麓にはシャモニー、イタリア側にはクールマイユールの町が開けています。

1786年、シャモニーの水晶採りジャック・バルマと医師ミシェル=ガブリエル・パカールが初めて頂に立ちました。それ以降、白い頂はヨーロッパの人々にとって憧れの風景になっていきます。

栗の糸から「栗の巣」へ

山のふもとの栗

栗そのものは、ヨーロッパでは古くからスープや粥、肉料理の付け合わせとして食べられてきました。小麦の育ちにくい山間では、栗の木を「パンの木(l’arbre à pain)」と呼ぶ地方もあります。

一皿になるまで

それが菓子の姿になるのは、19世紀のパリだといわれます。1840年代のフランスの料理書には、裏ごしした栗を細い糸状にした甘い一皿「marrons en vermicelle」が登場します。1860年代には、その栗の糸を輪に盛り、中央に泡立てたクリームをたっぷりと置く「nid de marrons(栗の巣)」の記録が現れます。栗色の岩肌に、白い雪。人々はやがてこの一皿を、アルプスの白い峰の名で呼ぶようになりました。

イタリア語で同じ菓子を指す「montebianco」は、このフランス語の名前を訳したものとされます。モンブランは国境の山の名を持ちながら、パリの菓子として生まれたのです。

ラルースが記したモンブラン

事典の定義

ジョエル・ロブションが委員長を務めた美食委員会の協力のもとに編まれた、フランス料理の百科事典『ラルース・ガストロノミック』(1998年刊)。その Mont-Blanc の項は、この菓子を « Entremets froid » ――冷たいアントルメ――と定義しています。ヴァニラの香る栗のピュレに、ドーム状のクレーム・シャンティイを戴かせて飾る菓子です。シャンティイのまわりを甘い栗のピュレで縁どり、パート・サブレかメレンゲの円盤にのせることもある、と添えられています。

型からあらわれる栗の冠

同じ項目のレシピでは、皮をむいた栗を牛乳とバター、砂糖、割いたヴァニラの鞘とともに、ごく弱い火で40分煮ます。それを裏ごし器で「ヴェルミセル」にし、サヴァラン型に押し固めずにふんわりと詰めます。型から外して現れる栗の冠の中央をシャンティイで満たし、砕いたマロン・グラッセと砂糖漬けのすみれを散らします。

「栗の巣」と、ほとんど同じ姿です。一世紀以上を経ても、この菓子の骨格は変わっていません。

ポール・ボキューズの地方料理集にも、ほぼ同じ作り方のモンブランが載っています。伏せた冠型に裏ごした栗を「ヴェルミセル」として流し込み、型から外した中央にシャンティイを絞るという工程は、ラルースのレシピと変わりません。ボキューズはこの菓子を、火を使うのは栗を煮る工程だけの「家庭でも作れる子ども向けの菓子」でありながら、「古典菓子の定番」でもある、と位置づけています。専門書の一品でありながら家庭の食卓にも並ぶという、この菓子の二面性がここにも表れています。

栗のないモンブラン

では、モンブランと栗は切り離せないのでしょうか。

エスコフィエの一皿

オーギュスト・エスコフィエの『料理の手引き(Le Guide Culinaire)』は、1903年の初版以来、フランス料理の古典として読み継がれてきました。そこに収められた Mont-Blanc aux marrons では、甘く煮た栗を伏せた輪型の上で裏ごしし、糸になって落ちる栗で自然に型を満たします。型から外した栗の輪の中央には、シャンティイを不揃いに積み上げて、ごつごつとした岩肌をつくるよう指示しています。

同じページには、栗を一粒も使わない Mont-Blanc aux fraises(野いちごのモンブラン)が並んでいます。固く泡立てたクリームに小さな野いちごを混ぜてドーム形に盛り、まわりを大粒のいちごで囲む一皿です。さらにその下には、木いちご色のクリームで「ピラミッド形の岩」を模す Mont-Rose があります。モンテ・ローザは、モンブランに次ぐアルプス第二の高峰です。

名前は姿を指す

名前が指していたのは、栗という素材ではなく、山の姿でした。「モンブランと栗は関係ないのか」と問われれば、名前の上では関係がない、と答えることができます。

雪をどう描くか

モンブランという菓子は、いわば一皿の上に風景を描く試みです。

セギュール夫人の一節

1866年、セギュール夫人は児童小説『なんてかわいい子!(Quel amour d’enfant!)』に、子どもたちの囃し歌を書き込みました。白いリボンを着けたジゼルを取り囲んで、子どもたちはこう歌います。

« Tu as l’air d’un mont-blanc, Giselle. »
「ジゼル、きみはまるでモンブランだね」
まわろう、まわろう、モンブランのまわりを
なめてみよう、チーズかどうか
見てみよう、この長い白いリボン
だめだめ、逃げよう、ジゼルがかんかんだ

白いものを見れば、アルプスの白い峰を思い浮かべる。そんな感覚が、19世紀フランスの子どもたちにも根づいていたのでしょう。料理人のディディエ・クレマンは、セギュール夫人の世界を菓子で再現した本の中で、この一節をモンブランのレシピの隣に置いています。そのモンブランは、小さなメレンゲの円盤に栗の糸をたっぷりと絞り、白いシャンティイのドームを戴かせた、一人分の山でした。

アンジェリーナのモンブラン

1903年、パリのリヴォリ通りにオーストリア出身の菓子職人アントワーヌ・ランペルマイエのサロン・ド・テが開きました。のちのアンジェリーナです。この店のモンブランも、焼いたメレンゲの台にクリームを置き、栗の糸で覆って、粉糖をふって仕上げるものでした。いつ店に並びはじめたのかははっきりしませんが、今もこの店の看板として知られています。

白の選び方

同じ骨格でも、白と栗色のどちらが表に出るかは、作り手によって逆転することがあります。ガストン・ルノートルの著書には、パート・シュクレの土台にシャンティイを尖らせて絞り「小さな山」の形をつくり、そこへ栗のクリームを細い糸状に垂らして覆う作り方が載っています。エスコフィエやラルースとは逆に、ここでは白いシャンティイそのものが山の形をつくり、栗色はその上にかかる装飾になります。

フェランディ・パリの教本には、技術段階の異なる3つのモンブランが並びます。基礎編は、メレンゲの土台にシャンティイを盛り、栗のクリームを糸状に覆う、ラルースに連なる古典的な構成です。応用編は、ルバーブのジュレと栗のクリームを重ね、ドーム状にせず平たいタルトに仕立てる、郷土の酸味を借りた現代的な再解釈です。発展編は、栗色のクリームを高く尖った円錐に絞り上げ、頂点にごく小さな白いクリームを一点だけ置く構成です。白が全体を覆うか、頂に一点だけ残るか――その振れ幅の両端が、一冊の教本の中に収まっています。

エスコフィエのように大皿に栗の輪を築くものもあれば、メレンゲの上に一人分の小さな峰を立てるものもあります。雪の白も、クリームで頂を覆うもの、粉糖を粉雪のようにふるうもの、メレンゲの白で雪原をあらわすものとさまざまです。どの「白」を選ぶかで、見えてくる山の表情が変わります。

海を渡ったモンブラン

東京・自由が丘の洋菓子店「モンブラン」は、創業者の迫田千万億がシャモニーでこの山に心打たれ、麓の町に許しを得てその名を用いた、と伝えています。日本のモンブランは、カステラなどの台に黄色い栗の甘露煮の色をまとわせた姿で広まり、やがて「モンブラン=栗のケーキ」という連想が生まれました。

黄色いモンブランと、茶色いモンブラン。白い山の名が、いつのまにか栗の名のように聞こえるようになった。それもまた、菓子が国境と海を越えて旅をしてきた証しといえるでしょう。

プチ・ラパンのモンブラン

プチ・ラパンのモンブラン。マーブルのプレートに置かれた、アルミカップ入りのモンブラン。栗のクリームが細く絞り出され、粉糖をまとった山型に仕上げられている。

土台

プチ・ラパンのモンブランは、メレンゲの円盤に一人分の山を立てる、パリのサロン・ド・テが育てた系譜に連なります。土台のメレンゲにはアーモンドを加えて焼き上げ、軽い口どけの雪原に、ナッツの香ばしさを重ねています。

栗と香り

その上に絞るのは、フランスのアンベール社のマロンペーストと、サバトン社のマロンクリーム。よつ葉の発酵バターでまろやかさを、ウイスキー「デュワーズ12年 ミズナラ樽フィニッシュ」で香りの奥行きを添えています。ミズナラは日本のオークです。パリで生まれた山の菓子に、日本の森の木で眠ったウイスキーの香りが重なる。海を渡ってきたモンブランの、ひとつの到着点かもしれません。

仕上げ

そして山頂は粉糖で仕上げます。プチ・ラパンが雪に選んだのは、ふわりと舞い降りた粉雪の白です。

店頭で見かけたら、少しだけ眺めてからお召し上がりください。9月から2月までの秋冬限定でご用意しています。

Chapitre I

歴史 L'Histoire

誕生の経緯

19世紀のパリで、裏ごしした栗を糸状にした菓子が生まれ、やがて栗の糸を輪にして中央にクリームを盛る形になった。『ラルース・ガストロノミック』はこれを冷たいアントルメと定義し、エスコフィエ『料理の手引き』は、中央のクリームを不揃いに積んで岩肌を模すよう記している。イタリア語の montebianco は、フランス語名を訳したものとされる。

名前の由来

アルプス最高峰 Mont Blanc(白い山)の姿から。エスコフィエは栗を使わない Mont-Blanc aux fraises も記しており、名前は素材ではなく形を指す。

文化的・社会的背景

1786年の初登頂以降、モンブランは畏れの対象から憧れの風景へと変わった。1866年のセギュール夫人の児童小説には、白いリボンの少女を「モンブランみたい」と囃す歌があり、白い峰のイメージが広く共有されていたことがうかがえる。

関連するシェフ・人物

オーギュスト・エスコフィエ/アントワーヌ・ランペルマイエ/セギュール夫人/ディディエ・クレマン/ポール・ボキューズ/ガストン・ルノートル/ヤン・マンギー(FERRANDIパリ)

Chapitre II

季節のお菓子 Pâtisserie de Saison

主な季節

  • 秋
  • 冬

旬の素材

栗

Colophon

参考文献

  • Larousse Gastronomique Patrice Maubourguet, Laure Flavigny(監修)、Comité gastronomique(委員長 Joël Robuchon)・Larousse・1998
  • Le Guide culinaire Auguste Escoffier・Flammarion・1997
  • Les Délices des Petites Filles modèles Marie-Christine Clément, Didier Clément・Albin Michel・1995
  • Cuisine des régions de France Paul Bocuse・Flammarion・1997
  • Faites votre pâtisserie comme Lenôtre Gaston Lenôtre・Flammarion・2001
  • Pâtisserie FERRANDI Paris・Flammarion・2017

最終更新:

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