フランス人はチーズでケーキを作らない。ではなぜ、この一皿は存在するのか。
はじめに ― 「結局、どれが何なの?」
チーズタルト、ベイクドチーズケーキ、レアチーズケーキ、エッグタルト。 お菓子屋さんやカフェのショーケースを前にして、なんとなく似ているけれど、どこが違うのかよくわからない。そういう経験が、一度くらいあるのではないでしょうか。
この記事では、チーズタルトとは何かという基本から始めて、よく混同されるお菓子との違いを整理します。2007年の開業以来、チーズを使ったタルトを作り続けてきたプチ・ラパンの視点から、できるだけ正直に書きます。
チーズタルトとは何か ― 一文で言うと
チーズタルトとは、フランス菓子のタルトの一種です。
タルトとはフランス語で「tarte」。タルト生地(パート・シュクレまたはパート・ブリゼ)という焼いた器の中に、チーズを使ったアパレイユ(詰め物)を入れ、焼き上げたものです。「タルトの器」と「チーズの中身」の組み合わせ――それがチーズタルトの本質です。
ここで一つ、おもしろいことをお話しします。
フランス人は、チーズでケーキを作りません。
チーズはフランスの食卓では、食後にデザートとして単独でいただくものです。コンテ、カマンベール、ロックフォール……何百種類ものチーズを、それ自体の味わいで楽しむ文化があるからこそ、わざわざケーキに加工する必要がない。だから「チーズケーキ」というジャンルは、フランスの伝統的な菓子文化の中では実は少数派なのです。
では、プチ・ラパンのチーズタルトはどこから来たのか。
出典は、フランスの料理事典『LAROUSSE des DESSERTS』に収録されている 「Tarte au mégin à la mode de Metz(メス風メガンのタルト)」 です。
プチ・ラパンのチーズタルトの出典 ― ラルースのレシピと「mégin」という言葉
出典は、ロレーヌ地方のメス(Metz)に伝わる素朴なチーズのタルトです。「チーズでケーキを作らない」フランスにあって、なぜメスにこの菓子が存在するのか。そこには、地図の上では見えない文化の境界線があります。
「mégin」という言葉の意味
レシピに登場する fremgin あるいは mégin という言葉は、長らく謎でした。
方言学者レオン・ゼリクゾン(Léon Zéliqzon)が1924年に著した『モゼル地方のロマン語方言辞典』に、この語の記録があります。原文には「卵と白チーズを混ぜ合わせ、クリームを数さじ、砂糖と少量の塩を加えたアパレイユ。これをパート・ブリゼに流して焼いたものを Tāte au m’jîn と呼ぶ」とあります。
語源はフランス語の fromage(チーズ)がメス周辺の口語で変音・短縮されたものです。fromejîn(地域語)→ fremgin → mégin という変化で、「m’gin」(mʒɛ̃)と発音します。つまりこの菓子の名前は、直訳すれば「チーズのタルト」です。ただしその「チーズ」は、ゲルマン文化圏の農家が日常的に作っていた素朴な白チーズのことです。
なお、この名称はメス周辺の呼び方で、ソルノワ地方では「magin」、ヴォージュ地方では「maugin」と発音が変わります。同じ菓子が地域ごとに違う名で呼ばれてきた、フランス地方菓子らしい豊かな揺れがここにも見られます。

キリのクリームチーズへの置き換え
レシピで使われる fromage blanc は、日本では入手が難しいフレッシュチーズです。水切りして凝縮させたものを fremgin と呼び、これがアパレイユの核になります。
当店では、性質がもっとも近いと判断した 「キリ」のクリームチーズ に置き換えています。クリームチーズはfromage blancより脂肪分が高く、よりリッチな仕上がりになりますが、それが結果として「素朴だけれど、しっかり濃厚」という当店のチーズタルトの個性になっています。
ゲルマン文化圏の農家の知恵から生まれ、ラルースに記録され、長岡京の厨房で現代の素材に置き換えられた。飾り気のない一皿の背後にある、小さな旅の話です。

チーズタルトとチーズケーキの違い
もっとも混同されやすいのが、「チーズタルト」と「チーズケーキ」の関係です。
決定的な違いは「土台」にあります。
| チーズタルト | チーズケーキ | |
|---|---|---|
| 土台 | タルト生地(小麦粉・バター・卵で作った焼き菓子の器) | なし、またはクッキー底・スポンジ底 |
| チーズ生地の焼き方 | 生地ごとオーブンで焼き込む | 冷やし固める(レア)または中身だけ焼く |
| 分類 | フランス菓子のタルト | ケーキの一種(発祥は多様) |
チーズタルトはタルト生地という「器」があって初めて成立します。サクサクした焼き菓子の食感と、チーズの濃厚なアパレイユが一体になっているのがポイントです。
一方のチーズケーキは、形や焼き方の定義がゆるやかで、世界中に様々なバリエーションが存在します。「タルト生地の器があるかどうか」が、二つを分ける大きな境界線です。
ベイクド・レア・ニューヨーク ― チーズを使ったお菓子のタイプの違い
チーズを使ったお菓子全体を見渡すと、いくつかのタイプがあります。
ベイクドタイプ
チーズのアパレイユをオーブンで焼き固めるタイプ。プチ・ラパンのチーズタルトはこれにあたります。焼くことで生地とアパレイユがしっかり結びつき、濃厚な味わいになります。日持ちがきく点も特徴です。
レアタイプ
加熱せず、ゼラチンなどで冷やし固めるタイプ。なめらかで軽い食感。チーズの生の風味をそのまま生かせますが、タルト生地との一体感はベイクドより薄くなります。
ニューヨーク(スフレ)タイプ
クリームチーズを多く使い、湯煎焼きにする方法など、特定の作り方を指す場合が多い言葉です。きめ細かく重厚な仕上がりが特徴で、アメリカに定着したスタイル。フランスの伝統的なタルト文化とは系譜が異なります。
プチ・ラパンのチーズタルトは、ベイクドタイプ、かつタルト生地あり ― この組み合わせが、フランス地方菓子の流れを汲む正統な「チーズタルト」と言える理由です。
エッグタルトとの違い
エッグタルト(卵のタルト、ポルトガル語でパステル・デ・ナタ)は、チーズを使いません。卵・牛乳・砂糖を合わせたカスタード生地を、タルト生地に流して焼いたものです。
「タルト生地に液体を流して焼く」という点では似ていますが、チーズタルトとは素材も味わいも別物です。
見た目が似ているためよく混同されますが、チーズタルトとエッグタルトは「タルト生地を使っている」という以外の共通点はほとんどありません。
ダマンドタルトとの違い
ダマンドタルトとは、タルト生地にクレーム・ダマンド(crème d’amandes)を流して焼き込んだものです。プチ・ラパンの焼き込みフルーツタルトにも使われる技法ですが、チーズタルトとはアパレイユの素材がまったく異なります。タルト生地という器は同じでも、中身がチーズであればチーズタルト、クレーム・ダマンドであればダマンドタルトです。
ここで少し寄り道を。
「ダマンド」は、フランス語で crème d’amandes(クレーム・ダマンド) と書きます。直訳すれば「アーモンドのクリーム」です。日本では「ダマンド」の表記で「アーモンドクリーム」を示すことが多いのですが、これは少し気持ちの悪い訳語です。
フランス語の crème d’amandes は「アーモンドのクリーム」という構造(crème =クリーム、de =の、amandes =アーモンド)です。英語に直せば cream of almonds であり、その of almonds の部分だけを取って「アーモンドクリーム」と呼んでいるのが現状です。主語であるはずの「クリーム(crème)」が消えて、修飾語だけが残っている。
もちろん言葉は慣習で動くものですから、「アーモンドクリーム」という呼び方が広く定着していること自体は自然なことです。ただ、慣習に従って省略するより、crème d’amandes(クレーム・ダマンド) とそのまま呼ぶ方が、素材の構造と出自をより正確に伝えられます。
プチ・ラパンがメニューや説明に「クレーム・ダマンド」という言葉をそのまま使うのは、そういう理由からです。
プチ・ラパンが選ぶ「素朴な王道」の理由道」の理由
チーズを使ったお菓子には、ふわとろ・半生・とろとろといった食感を前面に出したトレンド商品が数多く登場しています。
プチ・ラパンは、そうした流行を追いません。
ラルースのレシピに立ち返り、fromage blancをクリームチーズに置き換えながらも、ロレーヌ地方のメスに伝わった素朴さをそのまま大切にする。ふわっとした軽さより、しっかりとした濃厚さ。見た目の派手さより、食べたときの「これだ」という安心感。
2007年の開業から、それだけを考えて作ってきました。
流行りではなく、本物。それがプチ・ラパンのチーズタルトです。
一切れ、試してみませんか
チーズタルトとはどんなお菓子か、他のお菓子とどう違うのか、少し整理できたでしょうか。
プチ・ラパンのチーズタルトは、こちらのページでご紹介しています。
お取り寄せをご希望の方は、オンラインショップもご覧ください。
地域のお菓子 Pâtisserie Régionale
起源地
ロレーヌ 49.1048251°N / 6.1962338°E
地域文化との関わり
メスという町の立ち位置
メスが属するモゼル県は、長い歴史の中でゲルマン語圏とロマン語圏が接する境界地帯でした。19世紀から1945年まで、この地はドイツに編入されていた時期もあり、食文化にはゲルマンの論理が深く染み込んでいます。
ドイツ語でKäsekuchen(Käse=チーズ、Kuchen=ケーキ)と呼ばれる白チーズの菓子は、ライン川流域一帯に広がる中世以来の伝統です。農家が日常的に手に入れられる乳製品を砂糖・卵・クリームと合わせてタルトに焼き込む――この発想は、チーズをそのまま味わうフランスのロマン文化圏ではなく、チーズを調理素材として扱うゲルマン文化圏の食の論理から来ています。
「フランス人はチーズでケーキを作らない」。それは正しい。ただしメスは、その「フランス」の中の例外的な場所でした。だからこそ、フランスの料理事典ラルースがこの菓子を「メスの菓子(pâtisserie messine)」として特記したのです。
参考文献
- LAROUSSE des DESSERTS
- ー語源注記ー
- mégin(fremgin)の語源については、方言学者Léon Zéliqzonが1924年に著した『Dictionnaire des patois romans de la Moselle』(Librairie ISTRA)の記録を参照しています。同書はプチ・ラパンが直接使用した調理資料ではなく、語源の背景を確認するために参参照した学術資料です。
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