ザ☆フランス菓子
ババというお菓子をご存知でしょうか?
ブリオッシュのような発酵菓子にたっぷりとシロップをしみこませたまさに『ザ☆フランス菓子』といったお菓子です。
歴史は古く、その菓子を守り続けたパリ最古のパティスリーの歴史ともシンクロします。
目次
ババについて
ラルース料理事典の記述
時にレーズンが加えられる酵菓子である。焼成後はラム酒(キルシュ酒)のシロップに浸される。ババの創造はロレーヌ地方に追放されたポーランドのグルメ王Stanislas Leszczynski(1677-1766)の存在に原因がある。彼は乾燥しすぎたKouglof(クグロフ:アルザス・ロレーヌ地方の発酵菓子)を見つけるとラム酒を振りかけることを想像した。『千夜一夜物語』の熱心な読者であった彼はお気に入りのヒーロー名前”アリ・ババ”という名をこの菓子に与えた。この菓子はナンシーの宮廷にて大きな成功を収めた。
パリのモントルグイユ通りに店舗を構える菓子店”ストーレー”はそのレシピを完璧にし、お店のスペシャリテとしたうえで、その名を『ババ』というシンプルなものにした。1850年ごろ、数々の菓子店がボルドーで”フリブール”、パリで”ブリア・サヴァラン”(のちにサヴァラン)、“ゴランフロ”をババをもとにして創造した。
Larousse gastoronomique
ババとストーレーの関係
フランスの辞書の権威であるラルース社の料理事典にもあるように、この『ババ』というお菓子はパリに現存する最古の菓子店と言われる「ストーレー」と切っても切り離せない。2020年11月中旬、現在のストーレーのシェフ「ジェフェリー・カーニュ」氏がストーレーのシェフの立場でレシピ本を出版した。さっそく入手したので、彼が『ババ』について語っている部分を見てみたい。
ラム酒風味のババの歴史はメゾン・ストーレーの歴史と密接にかかわりを持つ。なぜなら、ニコラ・ストーレー自身は彼の主人であるポーランド王スタニスラス・レシチニスキのより大いなる幸せのために乾燥しすぎたクグロフをラム酒風味のシロップに浸すアイデアを持ったからである。かれがパリにパティスリーを開いたとき、ババはパリの人々に見事な成功を知られていた。ポーランドを起源とし、クグロフの子孫にあたるババは長い間レシピに乾燥フルーツを含んできた。しかし今日はむしろ、巧みに練られたシンプルなブリオッシュ生地を基礎として用意される傾向にある。菓子職人の挑戦なのか?そのババはシロップに一度浸すことが風化しないための抵抗であり、味わうときに乾燥を感じさせないよりしなやかかであることが多分に求められる。ジェフェレイは語る『私は常にババを作ってきた。生地を製作する所作はその分野においては独特で、難題を与えられてきた!ストーレーのシェフというポジションは、その技術を私にまで伝承してきた古くから続く責任のあるポストだ。このレシピはその他のレシピもそうであるようにストーレーのDNAだ。私はそれをほとんど変えることはなかったし、今日の味覚に対応するために甘味をほんの少しだけ取り除いただけだ。』
LE LIVRE DE PÂATISSERIE STOHRER PAR JEFFEREY CAGNES (2020 CHÊNE)
プチ・ラパンの『ババ』に対する姿勢
このように『ババ』というフランス菓子を象徴するようなお菓子は、単に伝統菓子・郷土菓子という枠で語られるべきではないと考えます。ストーレーというこの世界と長い時間を共有してきた老舗パティスリーが守り続けてきた「伝承の菓子」と呼ばれるべきではないでしょうか。
「タルト専門店」であるプチ・ラパンが『ババ』を作製する機会はそれほどないとは思いますが、もしそのようなことがあれば「ストーレー」が守り続けてきた長い年月をオマージュし、少しでもその存在に近づける努力を怠らないよう努めます。
『ババ』の作り方のポイント
- 卵と水が入る、柔らかめの生地です。
- 塩味がしっかり目の生地です。(発酵の抑制効果とシロップをたくさん含ませた時の味の引き締め効果があると考えられます。)
- 柔らかめの生地をしっかり練ることで、グルテンをしっかり出してタンパク質の網目構造を作り、焼き上げた時にシロップを含みやすくします。
- 丁寧に生地を作れば分量分のシロップがしみこむので、全て含むまで何度もかけます。
- ストーレーのシェフはその著書で、ババ生地と同じサイズの鍋にシロップを作って丸ごとつけています。
ババをおいしく作るためにこだわりたい食材
ラム酒
ラム酒風味のババなのでラム酒にはとことんこだわりたいところです。フランス領マルティニークの農園産のものであれば間違いないでしょう。
まるでブランデーかと思わせるような上品な香りと味わいです。